朝鮮王朝から官位を貰っている者

この事件により日朝の国交は断絶状態となる。

これは宗氏以外の全ての受職人・受図書人に対しても同様であった。

しかしながら、交易で生計を立てている対馬と、胡椒・丹木・銅などの輸入を対馬に全面的に依存している朝鮮王朝の双方は折り合いを付ける必要に迫られ、1512年、壬申約条により和解が成立した。これにより交易は再開され倭館も再び開かれた。

しかし、入港地は薺浦のみに制限され、歳遣船は半減、日本人の駐留の禁止、受職人・受図書人も再審査されるなど、通交は以前より制限されたものになる。

また、暴動対策のため備辺司が設置される。

その後、薺浦一港での入港受入れは難しいとの理由から釜山浦も再び開かれるが、1544年に蛇梁倭変が起こり再び国交は断絶する。

1547年の丁未条約で交易が再開されるが入港地は釜山浦一港に制限され、これが近代倭館へと続いていくことになる。

宗氏にとって三浦の喪失と通交の制限は大きな痛手であり、損失の穴埋めに日本国王使の偽使の派遣、通交権の集中を行うことになる。
update:2010年02月22日